デジタル時代に問う紙の辞書の存在意義
ドラマ『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』は、表面的には辞書編纂という特殊な仕事を描いた作品だが、その深層には現代社会が抱える重要な問題への鋭い問いかけが込められている。デジタル化が進む時代における紙の辞書の意味、多様性の尊重、言葉が持つ社会的責任、コロナ禍がもたらした孤独、そして仕事の意義——これらのテーマが、辞書編纂という舞台を通じて巧みに描かれている。本記事では、作品が提起する社会的メッセージを多角的に分析していく。
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スマホ時代に紙の辞書を作る意味——アナログの価値再発見
2017年という作品の時代設定において、既にスマートフォンは普及しており、多くの人々は分からない言葉があればすぐに検索する。Googleで検索すれば、瞬時に答えが出る時代に、なぜ何年もかけて紙の辞書を作る必要があるのか——この疑問は、みどりだけでなく、多くの視聴者が抱くものだろう。作品は、この問いに対して明確な答えを提示する。デジタル検索は確かに便利だが、そこには落とし穴がある。検索エンジンは、アルゴリズムに基づいて情報を提示するため、ユーザーの求める答えを「予測」して表示する。しかし、その答えが常に正確で、網羅的であるとは限らない。また、検索では「知らない言葉」に出会う機会が少ない。自分が検索した言葉しか知ることができないのだ。
対して、紙の辞書には「偶然の出会い」がある。ある言葉を調べているときに、隣のページにある別の言葉が目に入り、そこから新しい発見が生まれる。この「セレンディピティ(偶然の幸運な発見)」こそが、紙の辞書の大きな価値である。また、辞書は編纂者たちの思想と哲学が込められた作品でもある。どの言葉を採用するか、どう説明するか——これらの判断には、編纂者の価値観が反映される。「大渡海」という辞書は、「今を生きる辞書」を目指し、現代の人々が実際に使っている言葉を丁寧に収録する方針を取っている。この編集方針そのものが、作品のメッセージである。言葉は時代と共に変化する生き物であり、辞書はその変化を記録し、整理する役割を担っている。デジタルとアナログ、両方に価値があり、使い分けることが大切だ——このバランス感覚こそ、現代を生きる私たちに必要なものなのである。
「恋愛」の語釈が投げかける多様性への問い
ドラマの中盤で、みどりが「恋愛」という言葉の語釈に疑問を抱く場面は、作品における最も重要な社会的メッセージの一つである。既存の辞書には「恋愛:異性を想うこと」と書かれている。しかし、同性のパートナーを持つ天童の存在を知ったみどりは、この定義が不完全であることに気づく。「なぜ辞書は同性間の恋愛を排除しているのか?」——この問いかけは、辞書が単なる言葉の記録ではなく、社会の価値観を反映し、同時に影響を与えるものであることを示している。辞書が「恋愛は異性間のもの」と定義すれば、それが「正しい」恋愛の形として社会に認識される。逆に、辞書が「恋愛は性別を問わず相手を想うこと」と定義すれば、多様な恋愛の形が認められることになる。言葉の定義は、社会の規範を作る力を持っているのだ。
辞書編集部は、この問いに真剣に向き合う。議論の末、彼らは語釈を変更することを決定する。これは単なる言葉の問題ではなく、社会における多様性をどう受け入れるかという問題である。2025年の視聴者にとって、この問題提起はより切実なものとして響く。同性婚やパートナーシップ制度についての議論が進む中、辞書がどうあるべきかという問いは、社会がどうあるべきかという問いと直結している。作品は、LGBTQ+の問題を説教的に扱うのではなく、辞書編纂という具体的な作業を通じて自然に提示している。天童というキャラクターも、特別視されることなく、チームの一員として描かれている。この自然な描き方こそが、真の多様性の尊重である。『舟を編む』は、言葉を通じて社会を変えることができるという希望を示しており、視聴者に「自分も言葉を通じて何かを変えられるかもしれない」という勇気を与えている。
コロナ禍が浮き彫りにした言葉の力と孤独
ドラマの最終話で描かれる新型コロナウイルスのパンデミックは、単なる時代背景ではなく、作品の重要なテーマと深く結びついている。2020年初頭、世界は突然変わった。対面でのコミュニケーションが制限され、人々は物理的な距離を取ることを余儀なくされた。マスク越しの会話、リモート会議、面会制限——これらの制約は、私たちのコミュニケーションのあり方を根本から変えた。そして、その中で浮き彫りになったのが「言葉の力」である。表情が見えない、声のトーンが伝わりにくい、微妙なニュアンスが伝わらない——だからこそ、正確な言葉の選択がより重要になった。辞書編集部も、リモートでの作業を余儀なくされる。監修者の松本先生が入院し、面会もできない中、みどりたちは言葉だけで思いを伝えなければならない。
コロナ禍は、孤独という問題も浮き彫りにした。人と会えない、触れ合えない——この物理的な距離は、心の距離にもなりかねない。しかし、言葉は距離を超えて人と人を繋ぐことができる。手紙、メール、メッセージ——言葉を通じて、私たちは離れていても繋がることができる。辞書編集部の人々は、会えなくなった仲間への思いを言葉に込め、それを伝え合う。そして、十数年をかけて作ってきた「大渡海」が、コロナ禍を生きる人々にとって、言葉の海を渡る確かな舟となることを願う。2025年の視聴者にとって、コロナ禍の描写は「あの時代」の記録として見ることができる。私たちは困難な時代を経験し、そして乗り越えてきた。その経験が、言葉の価値を改めて教えてくれた。『舟を編む』は、コロナ禍という時代の証言として、そして言葉が持つ力の再発見の物語として、深い意味を持っている。
天職とは何か——仕事の意義を問い直す物語
現代社会において、多くの人々が「自分の仕事に意味はあるのか」という疑問を抱いている。AIの発展、自動化の進展により、人間の仕事は減少していくと言われる。そんな中で、自分の仕事の価値をどう見出すか——これは切実な問題である。『舟を編む』は、この問いに対して一つの答えを提示している。辞書編纂という仕事は、客観的に見れば「非効率」である。何年もかけて、膨大な労力と時間を費やして、一冊の辞書を作る。その間に得られる経済的利益は限られている。しかし、辞書編纂者たちは、経済的利益のために働いているのではない。彼らは、言葉を大切にし、未来の読者のために、最高の辞書を作りたいという情熱に駆られている。この「情熱」こそが、仕事の本質である。
馬締が語る「辞書は言葉の海を渡る舟」という比喩は、仕事の意義を端的に表現している。自分の仕事が、誰かの役に立つ、誰かの人生を豊かにする——そう信じることができれば、どんな仕事にも意味がある。みどりの成長も、この観点から見ることができる。最初は辞書編纂に何の意味も見出せなかったみどりが、徐々にその奥深さに気づき、最終的には「この仕事を続けたい」と思うようになる。この変化は、天職とは「見つけるもの」ではなく「育てるもの」であることを示している。最初から天職が分かっている人は少ない。しかし、一つのことに真摯に向き合い続けることで、それが天職になっていく。西岡の変化も同様である。最初は辞書編纂を軽視していた彼が、その価値を理解し、最終的には「大渡海」のプロモーションに全力を尽くす。仕事の意義は、外部から与えられるものではなく、自分自身が見出していくものなのだ。『舟を編む』は、仕事の意義を問い直し、視聴者に「自分の仕事をどう捉えるか」を考えさせる作品である。
言葉が持つ社会的責任——辞書が作る未来
辞書は、言葉を記録するだけの中立的な存在ではない。辞書が言葉をどう定義するかは、社会に大きな影響を与える。子どもたちは辞書を通じて言葉の意味を学び、大人たちは辞書を参照して正しい言葉の使い方を確認する。つまり、辞書は言葉の「規範」を作る力を持っているのだ。この力は、大きな責任を伴う。作品の中で、辞書編集部が「恋愛」の語釈を変更する場面は、まさにこの責任を自覚する瞬間である。彼らは、自分たちが作る辞書が、未来の社会にどんな影響を与えるかを真剣に考える。言葉を通じて、より包摂的で、多様性を認める社会を作ることができるのではないか——この希望が、彼らを駆動する。
また、作品は「新しい言葉」の採用についても問いかけている。若者言葉、ネットスラング、外来語——これらをどこまで辞書に載せるべきか。保守的に考えれば、伝統的な言葉だけを載せるべきだという意見もあるだろう。しかし、「今を生きる辞書」を目指す「大渡海」は、現代の人々が実際に使っている言葉を積極的に取り入れる方針を取る。言葉は生き物であり、常に変化している。辞書は、その変化を記録し、整理する役割を担っている。しかし同時に、どの言葉を「正式な言葉」として認めるかという判断は、社会の価値観を形作る。この循環的な関係を理解することが、言葉と社会の関係を考える上で重要である。『舟を編む』は、辞書編纂という具体的な作業を通じて、言葉が持つ社会的責任と、それを担う人々の真摯な姿勢を描いた作品なのである。
まとめ
ドラマ『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』は、デジタル時代における紙の辞書の意義、多様性の尊重、コロナ禍がもたらした言葉の再発見、仕事の意義、そして言葉が持つ社会的責任という、現代社会が直面する重要なテーマを描いている。辞書編纂という一見地味な題材を通じて、作品は私たちに「言葉とは何か」「社会とは何か」「仕事とは何か」という根源的な問いを投げかける。2025年の地上波放送により、より多くの視聴者にこのメッセージが届くことは、大きな意味を持っている。



