Netflix『ストレンジャー・シングス』が描くテーマを深読み|80年代ノスタルジアと「居場所のない者たち」への眼差し

Netflix『ストレンジャー・シングス』が描くテーマを深読み|80年代ノスタルジアと「居場所のない者たち」への眼差し

【基礎知識編】9年の物語が、最後まで問い続けたもの

2016年の配信開始から約9年、シーズン5の完結をもって幕を閉じたNetflix『ストレンジャー・シングス 未知の世界』。1980年代のインディアナ州の田舎町ホーキンスを舞台に、超能力少女イレブンと、彼女を受け入れた少年少女たちが「裏側の世界」の脅威に立ち向かうSFホラーとして、世界中で社会現象を巻き起こしてきた作品である。制作を手がけたダファー兄弟は、1980年代のスティーヴン・スピルバーグ作品やスティーヴン・キングの小説から強い影響を受けたことを公言しており、随所に散りばめられたオマージュの数々は、公開当初から本作最大の魅力として語られてきた。

しかし、9年という歳月を経て完結した今、あらためて見えてくるのは、本作が単なる「懐かしい80年代の再現」だけの作品ではなかったという事実だ。オタクの少年たちの物語として始まった本シリーズは、シーズンを重ねるごとに、性的指向や社会的な立場ゆえに「この世界に自分の居場所がない」と感じる者たちへとその視線を広げていった。本記事では、以下の2つの軸から、『ストレンジャー・シングス』が最後まで問い続けたテーマを深読みしていく。

  • 80年代という時代設定が果たした役割
  • 「居場所のない者たち」への眼差しの変遷

【80年代ノスタルジア編】なぜ「懐かしむ」のではなく「生きる」物語なのか

時代考証への徹底したこだわり

本作の舞台は、シーズン1が1983年、シーズン2が1984年、シーズン3が1985年と、劇中の時間経過にほぼ忠実な形で1980年代が描かれる。ダイヤル式の電話、無線クラブ、ウォークマン、ショッピングモール「スターコート」といった小道具はもちろん、シーズン3では劇中で『死霊のえじき』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が同時期に公開されていた事実まで再現されるなど、その時代考証の緻密さは繰り返し指摘されてきたポイントだ。こうした背景には、当時のアメリカが冷戦構造の最終局面にあり、レーガン政権下で米ソの緊張が高まっていたという社会情勢も反映されている。劇中でソ連の陰謀やホーキンス研究所の非人道的な実験が重要な要素として描かれるのも、この時代特有の不信感や恐怖と無関係ではないだろう。

「懐古」ではなく「現在進行形」で80年代を生きる子どもたち

興味深いのは、本作が『スタンド・バイ・ミー』のように大人になった語り手が少年時代を振り返る回想形式を取っていない点だ。マイクたちは誰かの思い出の中の存在ではなく、まさに“今”80年代半ばの世界を生きる現在進行形の主人公である。この構造上の選択は、単なる懐古趣味に浸る作品と本作とを分ける決定的な違いではないだろうか。視聴者は過去を懐かしむのではなく、80年代という時代そのものを、キャストの成長と共にリアルタイムで追体験する。ミリー・ボビー・ブラウンをはじめとする子役たちが、シーズンを追うごとに文字通り身体的にも成長していった事実が、この「現在進行形」の感覚をより強固なものにしていたと言えるだろう。

光と影が同居する80年代像

本作が描く80年代は、単に明るくポップな時代としてだけ提示されているわけではない。MTVの登場に象徴されるポップカルチャーの隆盛と、冷戦下の社会不安、そして国家権力による非人道的な実験という「影」が同時に描かれることで、時代そのものに厚みが生まれている。善悪の境界線が曖昧な人物造形――たとえば国家に忠誠を誓う兵士や、愛する者を失った悲しみゆえに非情な行動に出る者たちの姿は、単純な勧善懲悪では割り切れない人間のリアリティを支えてきた。80年代というノスタルジックな衣装をまといながら、実際には人種差別や社会的不平等といった現代にも通じる普遍的な課題を静かに織り込んでいる点にこそ、本作が単なる懐古作品を超えた射程を持っていた理由があるのではないだろうか。

【居場所のない者たち編】オタクから性的少数者へ、広がり続けた眼差し

シーズン1の出発点――“オタク”の少年たちが町を救う物語

『ストレンジャー・シングス』は当初、ダンジョンズ&ドラゴンズに興じる“オタク”の少年たちが、超常現象に立ち向かい町を救うという構図から出発した作品だった。学校でいじめられ、恋愛面でも冴えない立場に置かれがちな少年たちが、イレブンという異質な存在を受け入れ、共に戦う姿は、多くの視聴者――とりわけかつて「浮いた存在」だった経験を持つ人々の共感を呼んだ。もっとも、シリーズ初期は異性愛の規範が強く、登場する少女たちがすぐに恋愛対象として描かれるなど、いわゆる“ボーイズクラブ”的な色合いが濃かったことも事実である。

シーズン3以降の転換――ロビンの登場と「異性愛者だけではない」世界

この空気が変化し始めるのが、新キャラクターのロビンが登場するシーズン3からだ。人気者のスティーブが新たに好意を寄せる相手として描かれたロビンだったが、物語は最終的に、彼女が同性を好きになる人物であることを明かす。この描写は、ホーキンスという小さな町、ひいては本作の世界に「異性愛者だけがいるわけではない」という、当たり前でありながらそれまで前景化されてこなかった事実を静かに提示するものだった。ここから本作は、「オタク」という枠組みだけでは括りきれない、多様な「居場所のない者たち」へとその視線を広げ始める。

シーズン5が到達した地点――性的少数者もまた「ストレンジ」である

そして最終章となるシーズン5では、レズビアンであるロビンと、自身のセクシュアリティに向き合っていくウィルを中心に据え、オタクだけでなく性的少数者もまた「ストレンジ」な存在として社会から見られてきた現実がテーマとして扱われる。同性婚がまだ法制化されておらず、伝統的に保守的な土地柄で知られるインディアナ州という舞台設定は、このテーマを描くうえで大きな意味を持つ。決して「オタク」というルーツを捨てたわけではなく、むしろシーズン初期から登場し、シーズン5でキーパーソンへと成長したホリーが、物語序盤で自分なりの言葉で世界を定義していく描写に象徴されるように、シリーズは「この世界に自分の居場所がないと感じる者」の範囲そのものを、最後まで開き続けようとしていたのではないだろうか。この一貫した姿勢は、単なるマイノリティ描写の追加というより、シリーズが9年かけて育ててきた“包摂”というテーマの必然的な到達点だったように思える。

【考察編】円環構造が示す、次の世代への継承というメッセージ

始まりと終わりを重ねる意味

シーズン5のフィナーレは、シーズン1第1話冒頭とまったく同じ「地下室でのダンジョンズ&ドラゴンズ」というシーンで幕を閉じる、いわゆる円環構造を採用している。マイクたちが子ども時代に別れを告げ、ホリーたち次の世代が同じ場所を引き継ぐというこの構図は、単なる懐古的な演出という以上に、物語そのものが体現してきた「居場所を次の世代へと手渡す」というテーマの集大成と見ることができるのではないだろうか。オタクから性的少数者へと広がってきた“居場所のない者たち”への眼差しが、最後には「その居場所を次の世代に引き継ぐ」という形に結晶化した点に、本作が単なる怪物との戦いの物語ではなかったことが表れているように思える。

「今できる最高の80年代」が問いかけるもの

本作については、次のような指摘がされることがある。

「ただ昔を懐かしみたいだけなら、当時の音楽や映画をそのまま見ればいい」

この見方に立てば、『ストレンジャー・シングス』が80年代を舞台に選んだ本当の狙いは、単なる回顧趣味の充足ではなく、当時の空気感を借りながら、現代にも通じる普遍的な問い――自分らしくあることの難しさ、社会からの排除、そして誰かを受け入れることの意味――を描くことにあったと言えるのではないか。80年代というノスタルジックな衣装は、あくまで現代の視聴者が身構えずにそうしたテーマと向き合うための入り口であり、その奥には常に「あなたにとっての居場所とは何か」という、時代を問わない問いかけが用意されていたのだろう。

まとめ|懐かしさの奥に隠された、居場所を巡る物語

『ストレンジャー・シングス』は、80年代のポップカルチャーへの深い愛情と、緻密な時代考証によって多くの視聴者を魅了してきた作品だ。しかしその本質は、単なる懐古趣味に留まるものではなく、オタクの少年たちから性的少数者に至るまで、「この世界に自分の居場所がない」と感じる者たちへの眼差しを、9年という歳月をかけて丁寧に広げ続けてきた物語だったと言えるだろう。シーズン1と寸分違わぬ地下室のシーンで幕を閉じたフィナーレは、その居場所を次の世代へと引き継ぐという、シリーズ全体を貫くメッセージの集大成だったのではないだろうか。80年代という懐かしい衣装の奥に何が隠されていたのか――完結した今だからこそ、あらためて見つめ直す価値のある作品である。

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