どうする家康というタイトルは大河ドラマの重みを感じられず、軽くてコミカルな感じがして、意味が気になります。どうするとはいつの家康に問いかけているのか。歴史は難しそうとか戦国時代は戦いばかりで見たくないという人でも気軽に見られる雰囲気にしているようで、脚本家の古沢良太さんが、インタビューで語っていました。
そこで、どうする家康のタイトルの意味や疑問に答えます。
- どうする家康のタイトルの意味は
- 脚本家の古沢良太さんがつぶやいた言葉
- 視聴者に問いかけている?
- 視聴者にも刺さるはず
鎌倉殿の13人の雰囲気からガラッと変わります!
脚本はコンフィデンスマンJPシリーズ(長澤まさみ)やリーガルハイの古沢良太さんですから、「えっ!そっち!!!」というひねりのある展開をしてくれそうです。
しかも家康役はどうする?と迷わなそうな松本潤さんですが、大河ドラマでは「麒麟が来る」でも「鎌倉殿の13人」でも翻弄しながら強くなっていく主人公の姿が描かれていました。
どうする家康のタイトルの意味!
どうする家康のタイトルの意味は、脚本家の古沢良太さんが脚本を書きながら、常に思った言葉「どうする家康」をそのままタイトルにしています。
というのも
徳川家康の人生は、子どもの頃から今川義元のもとで人質として育てられ、常に選択を突き付けられていて、毎回ハラハラドキドキの展開だから
古沢良太さんの話から、スタッフが提案しています。
家康が生きたのは戦乱の世、まさに予期せぬことが次々に起きる時代。
彼はリーダーとして、たくさんの「どうする?」を突き付けられました。
戦場で「どうする?」、家族から「どうする?」、民衆から「どうする?」
判断ミスで苦杯をなめ、ピンチも招きましたが、決して逃げず、答えを出し続け、乱世を終わらせました。
先行きの見えないのは現代も同じ。家康を現代に通ずるリーダー像として描いていきます。
この言葉を気に入った制作側がタイトルとして提案したという。「大河ドラマとしてはふざけすぎじゃないですか?」という古沢氏の反応を明かしながら、「家康が突きつけられた人生なり、そこをどう乗り越えたのかというメッセージは込められている。他にどういうタイトルを持ってきたとしても、『どうする家康』以上にこのドラマを言い当てているものはない」と決断に自信を見せた。
家康に「どうする家康」と問いかけることで視聴者にも「あなたならどうする?」と問いかけているようにも感じます。
「私ならどうするだろう」という目線で見たり、会社など周りの人物に置き換えて見ても面白そう。
家康が登場した大河ドラマのタイトルはどれも固い
今までの大河ドラマでは「徳川家康」(1983年)「葵 徳川三代」(2000年)で徳川家康が描かれてきました。
他にも徳川家康が登場した大河ドラマは
- 太閤記
- 春の坂道
- おんな太閤記
- 春日局
- 信長 KING OF ZIPANG
- 秀吉
- 利家とまつ~加賀百万石物語~
- 江~姫たちの戦国~
- 麒麟がくる
- 青天を衝け、オープニングのみに登場
どれも大河ドラマらしい、固いタイトルです。
なんで今徳川家康なの?
\ #物語は東海から /#どうする家康 初回放送日が
2023年1月8日(日)に決定!
【初回15分拡大版】での放送です。そして本日、東海先行ビジュアルを公開!ぜひご覧ください!!
▼主演 #松本潤 さんのコメントもhttps://t.co/zcs3tN2d1t https://t.co/HiRy21dA1Q
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) October 29, 2022
今まで「徳川家康」(1983年)「葵 徳川三代」(2000年)で徳川家康が主人公として描かれてきました。
他にも戦国時代を描いた大河ドラマに登場していますから、マンネリな気がしますが違います!
脚本担当の古沢良太さんが「子供の頃は人質で、そこから天下人になる。こんなに夢がある話はない」と言ったことから、家康に決定しました。
スタッフは「(家康の話を)またやるのかと思ったけど、それを上回る面白さがあった。古沢さんの楽しそうな表情が印象的だった」と古沢良太さんの脚本には新しさがあると語っています。
家康の人生が展開する中で、頻繁に登場したのが「どうする家康」というフレーズで毎回毎回、どうする家康、どうする家康、というエピソードがどんどん起こってきて。家康のハラハラドキドキの物語を描きたいと思ったそうです。
選択に翻弄される家康が目に浮かびますが、翻弄しそうじゃない松本潤さんが演じるから楽しみです。
コミカルな感じがしますが、コメディー要素よりもキャストも王道な豪華キャストですし、本格派の大河ドラマになっています。
どうする家康のあらすじ
松平元康(のちの家康)は、貧しい小国・三河の岡崎城主・松平広忠の子として生まれました。
しかし戦で父親の松平広忠が亡くなり3歳で母と生き別れ、6歳で駿河の今川家のもとに人質として送られます。
今川義元(野村萬斎)に見込まれた元康は不自由ない生活を保障されて、十分な教育を受けて育ちました。
12歳で元服して、今川家重臣・関口氏純(渡部篤郎)の娘・瀬名(有村架純)と恋に落ちます。
しかしそんな今川家に染まる姿を、元康に付き添っていた石川数正(松重豊)鳥居元忠(音尾琢真)ら三河の者たちは良く思っていませんでした。
ある日、父の墓参りに三河・岡崎を訪れた元康は、そこで父に仕えていた酒井忠次(大森南朋)など旧臣たちと再会する。
彼らが今川家に不満を持っていて、松平家再興の思いがくすぶっていることを知りますが、今川義元を慕う家康にとって重荷です。
1つ目の「どうする家康」ですね。
1560年(元康17歳)に今川義元は、織田領である尾張へ進撃します(桶狭間の戦い)
元康は妻子に別れを告げて、織田軍の攻撃を受ける大高城に、兵糧を送り込む任務に就く。
敵方の猛攻をくぐり抜け、大高城にようやくたどりつき、喜んだのもつかの間、桶狭間で今川義元が討死
しかも、大高城に押し寄せるのは、織田信長(岡田准一)
幼い頃、信長と一緒に過ごした時の忌まわしい記憶が、元康の脳裏によみがえる。
元康は今川の人質になる時に義母の父・戸田康光の裏切りによって、尾張国の織田信秀へ送られて2年間人質生活を過ごしたときに織田信長と過ごしていた。(織田信長と知り合ったという伝説がありますが、史実ではないそう)
織田軍に包囲される中、家族が待つ駿河に戻るか、故郷の三河へ進むか、それとも籠城か。
どうする家康
この決断が、ピンチとガマンの連続、壮絶な家康の人生の幕開けになります。