鎌倉殿の13人で、頼朝の最後がどうなるのか気になりますよね。少しでも不信感を感じたら、暗殺してきた頼朝の死因は史実では落馬です。
毎週「大泉洋のせい」と言われてきた頼朝が死ぬといよいよタイトルの「鎌倉殿の13人」の宿老13人が動き出します。
そこで、頼朝の最後と宿老13人の疑問に答えます。
- 頼朝の最後はどのように死ぬ?
- 死因は史実通り落馬
- 頼朝の後を継ぐ2代目鎌倉殿になるのは誰?
- 宿老13人とは誰?
毎週、頼朝のせいで誰かが死んで悲しい結末になっていた鎌倉殿の13人
頼朝が死んで、どうなっていくのでしょうか。
鎌倉殿の13人の頼朝の最後死因は落馬!宿老13人が動き出す!
頼朝の最後の死因は、右手にしびれを感じて右半身に広がって、頭に鉦(かね・軍隊で停止や退却の合図として鳴らす楽器)の音がしたので、今でいう脳梗塞だと思われます。
そして、気を失って落馬、一時的に意識を取り戻しましたが、亡くなりました。
頼朝が落馬で亡くなるなんて、ちょっとコミカル
鎌倉殿の13人の原作になっている「吾妻鏡」では、
頼朝は、相模川の橋の落成記念式典に出席した帰路、体調をくずして落馬し、十数日後に亡くなった享年53歳でした。
鎌倉殿の13人では、相模川の橋のたもとの寺から御所に帰るために馬に乗っていた時、右半分がしびれて、頭にかねがなるような衝撃が起きて、気を失って落馬しました。
意識不明になって、一時意識を取り戻しましたが、亡くなります。
途中で餅をのどに詰まらせて死んでしまうかと思うような展開がありますが、死因は落馬です。
今で言う脳梗塞のような症状です。
馬を引いていた安達盛長(野添義弘)も何が起きたのかわかりません。
しかし頼時(のちの泰時・坂口健太郎)は、気を失ってから落馬したと推測します。
馬に振り落とされたのでは無いので、武士としての面目が立ちました。
鎌倉殿の後継ぎ2代目は誰?
/#源頼家(みなもとのよりいえ)#金子大地
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頼朝の息子で義時の甥(おい)。肉親北条と争う二代将軍。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/wxFSlJfgcE— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) May 6, 2022
頼朝の容態がよくないとわかってから、後継ぎ問題が本格的になります。
早くに騒ぎ出すと範頼のように謹慎になってしまいますから、危険です。
頼朝が後継ぎにしたいと言っていた頼朝と政子の嫡男の頼家(金子大地)
しかし、頼家が鎌倉殿になると乳母だった比企氏の力が強くなります。
そこで、時政は頼家では若すぎる(史実では18歳)と言いますが、
政子(小池栄子)は、もちろん頼家を2代目鎌倉殿にしたい。
そして、頼家も覚悟を決める。
頼家は、頼朝のようにカリスマ性が無く不器用、しかも女好きな性格だけ受け継いだ!!!
鎌倉殿の13人の元となっている歴史書「吾妻鏡」では、頼家は弓馬の芸は得意でしたが、「鎌倉殿」を継ぐには、あまりにも若くて「無能のバカ息子」と扱われています。
鎌倉殿の13人の宿老13人が選ばれた理由
2代目鎌倉殿が頼家になると、いよいよ13人が動き出します。
タイトルの「鎌倉殿の13人」とは誰のこと?まだ出てこないの?とずっと思っていましたよね。
義時は主人公なのに、頼朝に振り回されて、頼朝が主役のようだったあらすじが変わっていきます。
宿老の13人が選ばれて、十三人の合議制が発足されたのには理由があります。
若い頼家が慣例を無視して独自の判断をすることから、「十三人の合議制」を取り入れて、有力者の宿老13人の話し合いによって決めてから、頼家が最終決断をするシステムにしました。
頼家は病弱な嫡男!
甘やかされて育ってきたので、わがまま!
2代目「鎌倉殿」の宿老の13人とはこの御家人
- 北条時政(坂東彌十郎)
- 北条義時(小栗旬)
- 梶原景時(中村獅童)
- 大江広元(栗原英雄)
- 三浦義澄(佐藤B作)
- 三善康信(小林隆)
- 八田知家(市原隼人)
- 和田義盛(横田英司)
- 比企能員(佐藤二朗)
- 二階堂行政(野仲イサオ)
- 安達盛長(野添義弘)
- 中原親能(川島潤哉)
- 足立遠元(大野泰広)
2代目鎌倉殿の宿老13人が次々に減っていく展開
しかし、すぐに2代目鎌倉殿の宿老の13人が減っていきます!!!
史実では、頼朝が亡くなった1199年に発足しましたが…どんどん減っていきすぐに13人ではなくなる。
1人目:すぐに頼朝と政子の次女・三幡が病死して、乳母夫だった中原親能(川島潤哉)が出家して鎌倉を離れる。
早くも13人が12人になる。
2人目:さらに梶原景時(中村獅童)が失脚して、討ち死
3、4人目:すぐに安達盛長(野添義弘)と三浦義澄(佐藤B作)が病死
すでに9人になってる!!!
北条と比企の権力争いが起き
5人目:比企能員(佐藤二朗)が討ち死
早くも1203年に8人になります。
史実では、1200年には「十三人の合議制」は解体されて、頼家政権も権力抗争の果てに崩壊しています!
鎌倉殿の13人では、1203年に頼家は修善寺で仏の道を極めることになりました。
そして、御所では3代目鎌倉殿の実朝(柿澤勇人)が将軍になります。
タイトルの13人がすぐに13人ではなくなっている!!!
いよいよ主人公の義時の人生が中心に描かれる展開になっていきます。
頼朝の意思を継いで、だんだんブラックになっていく義時!!!麒麟が来るの明智光秀と重なります。