鎌倉殿の13人で、四代目鎌倉殿になるのは誰?実朝が鎌倉殿を辞めて、京から養子をとると言ったため、義時や政子ともめました。実朝と公暁が暗殺されて亡くなったため、三寅(のちの藤原頼経)に決まります。しかし、三寅はまだ2歳なので、政子が「鎌倉殿になる」と言って尼将軍になります。
そこで、四代目鎌倉殿についてまとめます。
- 四代目鎌倉殿は誰?
- 三寅(のちの藤原頼経)とは
- 四代目は時房と後鳥羽上皇の蹴鞠対決で決まった
- 四代目鎌倉殿候補は3人が壮絶な後継ぎ争い
- 鎌倉殿候補は、頼朝のこだわりで源氏直結
- 謀反で源氏直結がいなくなる
史実では、鎌倉の将軍は三寅の後も9代目まで続きます。
3代目までは源氏、4、5代目は藤原氏、6~9代目は皇族です。
鎌倉殿の13人四代目鎌倉殿は誰?三寅の藤原頼経は2歳!政子が尼将軍になる
» 登場人物 三寅 (中村 龍太郎) | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 https://t.co/OPtBfrFRSW
おっきくなった三寅ちゃん♪
— アンダーザミント@BOOTHにて同人誌通販開始 (@underthemint) December 4, 2022
四代目鎌倉殿は誰?三寅(のちの藤原頼経)です。
鎌倉殿は、頼朝のこだわりで源氏直結でしたが、公暁(寛一郎)も阿野時元も暗殺されたので、直結は途絶えました。
三寅の両親は、源頼朝の同母妹坊門姫の孫で、前3代の源氏将軍とは遠縁ながら血縁関係にあって、のちに妻は源頼家の娘で、16歳年上の竹御所になります。
生まれたのが寅年・寅月・寅刻だったので、幼名が三寅(みとら)
三寅が鎌倉に来たのは2歳の時で、元服するまで政子が代わりとなって、尼将軍になりました。
三寅は、北条義時と政子が担ぎ挙げた鎌倉殿で、頼経の元服直前に義時と政子が亡くなったので、北条泰時と時房に引き継がれます。
鎌倉殿の13人で描かれるのは、義時が死ぬまでなので、三寅の元服シーンは見られませんね。
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四代目鎌倉殿は時房と後鳥羽上皇の蹴鞠対決で決まった
3代目鎌倉殿の源実朝が暗殺された後、後鳥羽上皇との駆け引きをして、時房(瀬戸康史)を京に送って、皇族ではない4代目を迎えようとします。
後鳥羽上皇に拒否されたが、蹴鞠で勝負を挑んできます。
勝てそうだった時房に審判がささやき、時房は後鳥羽上皇に負けを報告しました。
上機嫌の後鳥羽上皇は、親王ではなく、違う者を鎌倉に送ることを言い渡しました。
時房は蹴鞠が得意ですから、調子に乗る様子が目に浮かびます。
四代目鎌倉殿候補は相次ぐ謀反で源氏直結がいなくなる
3代目鎌倉殿の実朝に子供が無かったので、京から養子をもらいたいと希望したことから、京を警戒する義時は実朝を疎ましく思い始める。
また、3代目鎌倉殿になれなかった公暁(寛一郎)は、実朝を恨んでいる
そこに義村(山本耕史)が父親の頼家を暗殺したのは義時だとけしかける
公暁は親の敵として、実朝と義時を暗殺しようとしますが、義時の暗殺に失敗。間違えて、仲章(生田斗真)を暗殺します。
謀反人として、公暁は義村に暗殺されて、源氏直結は阿野時元だけになりました。
どうしても阿野時元を鎌倉殿にしたい実衣は、義村に相談
そのことが義時に伝わり、時元を挙兵に追い込み、追い込まれた時元は自害
実衣も謀反に関わったとして、閉じ込められます。
源氏直結の後継ぎがいなくなりました。
実朝の暗殺以降、義時と義村の共謀がむごい!
しかし、政子が尼将軍になって実権を握ったことで、実衣を救っています。
最終回はすごい!三谷幸喜さんが語っていた